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ヴァルナの生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、)は、ブルガリアの黒海沿岸の港湾都市ヴァルナで最大かつ最も有名なブルガリア正教会の大聖堂である。公式には1886年8月30日に開かれた。大聖堂はヴァルナとプレスラフ(:en:Preslav)の主教座であり、ヴァルナの象徴的存在の一つである。 生神女(しょうしんじょ)とは正教会における、聖母マリアを指す称号。生神女就寝祭とは生神女の永眠を記憶する祭であり、これを記憶するのが生神女就寝聖堂である。聖母被昇天の教義はカトリック教会のものであり、正教会では「被昇天」の語は用いずあくまで「就寝」との語を用いる。従って当記事で扱う正教会の聖堂に「聖母被昇天聖堂」等の訳を当てるのは誤りである。 == 歴史 == === 準備と計画 === ロシアの公ドンドゥコフ・コルサコフ(:en:Dondukov-Korsakov)はヴァルナへ訪問している際、増大する都市の正教会信徒人口に応じた大聖堂の必要性を感じた。府主教シメオンは新教会建設を準備するにあたり、場所の選定をし、資金、材木および建築資材の確保するための委員会を選ぶための集会を招集した。建設には30万から40万フランス・フランが必要であると見積もられ、その大半は自発的な寄附によって賄われる事が期待された。初めに必要な1万5千フランは直ぐに集まったが、ブルガリア政府は計10万レヴァを支給し、2レヴァの宝くじを15万発行した。 当初はヴァルナ周辺からの資材が大聖堂の建築に用いられた。市街の城壁が破壊され石材として集められ、ファサードの資材は付近のリュベン・カラヴェロヴォ( / ''Lyuben Karavelovo'')とクマノヴォ( / ''Kumanovo'')の両村から運ばれ、内部の柱は近辺の石で作られた。外部の窓下の柱はルセの石が運ばれて使われ、アーチには石灰岩の切石が使われた。屋根を覆う銅板と、石材を運び上げるためのエレベーター用の歯車は、イングランドから運ばれた。 礎石はブルガリア公アレクサンダルにより1880年8月22日に、ブルガリア人とアルメニア人の多数の参祷者を前にした荘厳な式典が行われた後に置かれた。興味深い事に、ブルガリア公アレクサンダルは、3か月以下の刑期を残すのみとなっていた全ての地元の囚人に対して恩赦を発している。 大聖堂の名として選ばれた「生神女就寝」は、ブルガリアの後援者でありブルガリア公アレクサンダルの伯母でもあってその頃永眠した、ロシア皇后マリア・アレクサンドロヴナを記憶するものであった。 最初に選ばれた建設地を公は気に入らず、代わりの建設地として郊外の丘の上を志向した。庭園も整備する事が可能であり、街全体から大聖堂を見る事が出来る場所でもあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「生神女就寝大聖堂 (ヴァルナ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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